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今を乗り切る

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お腹が減ったので『道の駅
足尾銅山の人形はみんな苦しそうな顔をしていたので
金山には女性も働いていたとか
昔は栄えた街だったんでしょうね
すっかり雨は上がっています
800円の入場券を買って入ります
長男はいないから、彼はもう働いていたのかもしれない
名取氏も記事中で「鉱山用機械を“地産地消”してきた足尾銅山ゆえに、昭和初期にこの技術的に困難な鋳造をなしえたわけで
足尾銅山のご紹介
でそのあと宇都宮に出て餃子を食べて帰ることにしました
家族三人で足尾銅山に出掛けていた
写真を見ていると、今年よりも、よほど夏らしい感じがする
足尾銅山跡が左手に見えます
金山を出ていよいよ堂ヶ島へ
早速つばさわビーチへ
くろほね・やまびこ』に入って一休み
ちゅーわけで、今日も山へ
さて、この砂利道はトロッコの線路跡である
そして足尾銅山観光に到着
西桐生から乗った列車で、いったん終点の間藤まで向かう
ふむふむ、田舎の山里入り口ってかんじですかね
足尾銅山の蝋人形より雰囲気が明るいです
で、足尾銅山に向かうことに決定

シンポジウム:足尾銅山鉱毒事件、市民との関係学ぶ--30日、足利 /栃木
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090827-00000158-mailo-l09

なんで銅(山)?ここは、そのまま進むと足尾銅山方面に行くんですね
ちょっと波は高め

伊豆之国発、ドライブその他(8/30)
http://4716-marco0259.blog.so-net.ne.jp/2009-08-30

かつては、その先足尾本山まで貨物線が伸びていたが
名前の通り渡良瀬川に沿って走っており、途中で群馬・栃木の県境を越えて「足尾銅山」で有名な日光市の足尾地区まで通っている
2004年の夏
こんな軌道車両まで当時は自社製作してたなんて、足尾銅山が如何に繁栄していて、その為に古河と言う企業が色んなモノを造って行ったと
伊勢崎ICを過ぎたあたりから緩やかに登りはじめます
坑道へ

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